11月23日勤労感謝の日、栃木県大田原市で走ってきました。
僕自身3回目のフルマラソン。
気温12度、湿度55%、小春日和の絶好のコンデション。
願ってもない最高の天候の中、結果は最低の4時間3分。
残り7キロから急激にペースダウン。走っていて初めての経験で、左足が吊ってしまい、なんとかごまかしながら走り出したが、とたんに右足も吊ってしまった。どんなことがあっても3時間台は最低ラインと決めていたのだが、どうしても足が出ない。「くそー」何度も呻きながら、沿道の「あと3キロ」、「あと2 キロ」、「あと1キロ」、「もう少しだ頑張れ〜!」の声援も虚しく、よれよれになりながらのゴール。今までも何度も苦しい事はあったが、ここまで苦しいのは初めての経験。何度か『棄権しようか…』、『ほんとにゴールできるのかな…』なんて考えながら、なんとか最後だけは走りながら、ちょっと余裕を見せてのゴールだった。
後日分かった事だが、足が吊った原因は脱水症状だったみたいだ(25・30キロと給水出来ず)。でも、とにかく走り込み不足(やっぱり月200キロは最低基準かな)。そして太り過ぎ(煙草をやめてからどうしても4キロが痩せられない)。あと意欲の欠如(今までの2回と違い、絶対に目標時間で走りきる!といった強い思いが欠けていた)など。何となく走る事に対する強いモチベーションが湧いてこない。
そんなこんなで、今回のマラソンをもってしばらく休もうかな、と思っていたのだが…。
帰りの送迎バスに乗ろうと列に並んだ時、なんと、偶然僕の隣に、市民ランナーの憧れの星、星野芳美さんがいたのだ。とてもきれいな瞳が印象的な、結構小柄な人(一瞬で彼女のファンになってしまった)。そのスタイルを見ただけて、どれだけの走り込みをしているのか一瞬で感じ取れた。残念ながら、声をかけられずに別のバスに乗ったのだが、偶然じゃない、何かを感じた(マラソンの女神が舞い降りて、優しく微笑んでくれたような)。
翌日、早速彼女のブログなどを検索してみた。今回は残念ながら優勝できなかったらしい(大田原マラソン6連覇中だった)。そしてこの2年、怪我などとの葛藤があったこと。こんな雲の上のような人でも悩みがあるんだ(あたりまえなのだが)。これからも僕自身の励みにしようと勝手に思ってしまった。
お世辞じゃなくて彼女の鳶色の瞳には、何か特別なオーラというか、優しさや包み込むような温かさというか、とにかく、とても人格の高さを感じたのです(やっぱり何か成し遂げた人は違う)。
僕にとっては今回の失敗と彼女との出会いが、次へのステップになると密かに思える出会いでありました。
新たなモチベーションが沸々と湧いてきたようだ
サンエスの代表であります増田伸一のコラムページを新設いたしました。 日々、感じたこと、体験したこと、趣味のことなどなどを、 思い立ったときに、思ったことを記していこうと考えております。 興味のある方はご覧ください。
2009年11月25日水曜日
2009年10月15日木曜日
マラソン その壱
このコラムのタイトルを見て分かる人もいると思うが、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」に由来していることは言うまでもない。と言うことで、今回はマラソンの話をしよう。
実は、僕は今マラソンに夢中なのである。今年の6月で、走り始めて丸3年が経った。あと少しで、走行距離が4,500kmに達する。
その間、フルマラソン2回。ハーフマラソン4回。青梅マラソン1回。他小さな大会や練習会などに5〜6回出場。フルマラソンの記録は荒川市民マラソンで、今年3月に出した3時間42分。(1秒刻みランキングで7〜8百番くらい)分かる人には分かると思うが、結構悪くない記録である。
当然ながら始めは、ここまでハマるとは思っても見なかったのだが、その魅力にどっぷりと浸かる日々を送っている。
なぜ走り始めたのか、かっこ良く言えば、子どもたちに親父の頑張っている姿を見せることで、何かを感じてくれればとの熱い思いであった。でも実際は息子たちが中学に入学し、テニス部に入り、顧問の先生の指導方針で、とにかく走らされていたのだが、だんだんと走れるようになると、ちょっと自慢しだし、親を見下すようになっていったように思えたのだ。
曰く、「パパには無理でしょ」的な発言。「むむっ、いかん、このままだと親の沽券に関わる。」と変なプライドが頭をもたげてきた。
とはいえ走ることにはあまり良い思い出がない。
かつて2度ほど、ランニングを試みたことがあったのだが、その時は見事に三日坊主で終わっていたのだ。
なぜ失敗したのか、それは「痩せるぞ!」とばかりに気合いを入れ、合羽を着て、タオルを巻いて、とにかく明日のジョーのごとく走り出す。あまりの苦しさに続くはずもなかった訳だ。
しかし今回だけは違っていた。周りからは、「死ぬぞ」とか、「やめとけ」的な言葉もたくさん頂戴したが、なんせ子どもに「な〜んだ」って言われるのだけは嫌だという、変なモチベーションのもと、走り続けることができたのだ。
最初は、ストレッチから始め、次にウォーキング。これを約二ヶ月ほど続けた後、ジョギングにトライした。
ところが最初は中学校のグランドのトラック一周3百メートルを走るのに2回も休む始末。ここまで走れないとはと愕然とし、途方に暮れ、筋肉痛になりながらも、まずは3百メートル、次に1キロ、次に千五百メートルと、徐々に距離と目標を伸ばしていった。それとともに体重が激減。走る前は70キロオーバーだった体重が、半年すぎた頃には58キロ。体脂肪も25%から14%前後になっていた。
こうなってくるともうやめられませんとばかり、もっともっとと距離を伸ばし、速度を速め、ストイックに自分をいじめ筋肉痛を楽しむ毎日であった。
あまりの急激な痩せように周りは疑心暗鬼の目を向けるようになり、何か悪い病気じゃないかと目をそらす始末。だから当初は開口一番「今ダイエットのため走ってるんです。」って笑顔でしかもあわてて言わなくてはならないくらい急激に痩せていった。それまでいかに不摂生していたかが分かるのだが、当時の写真を見ると確かに青白くて頬がげっそりしてて、我ながらかなりやばそうに見えます…。(おお怖わ)
と、まあ話せば切りはないので今回はこのくらいにして、また何度かマラソンの話はしていきます。ちなみに東京マラソンは当然エントリーし、今抽選待ち。陸連登録もしてあるので、今年は当選することを今から夢見て待っています。また11月の大田原マラソンに出走を計画中です。
実は、僕は今マラソンに夢中なのである。今年の6月で、走り始めて丸3年が経った。あと少しで、走行距離が4,500kmに達する。
その間、フルマラソン2回。ハーフマラソン4回。青梅マラソン1回。他小さな大会や練習会などに5〜6回出場。フルマラソンの記録は荒川市民マラソンで、今年3月に出した3時間42分。(1秒刻みランキングで7〜8百番くらい)分かる人には分かると思うが、結構悪くない記録である。
当然ながら始めは、ここまでハマるとは思っても見なかったのだが、その魅力にどっぷりと浸かる日々を送っている。
なぜ走り始めたのか、かっこ良く言えば、子どもたちに親父の頑張っている姿を見せることで、何かを感じてくれればとの熱い思いであった。でも実際は息子たちが中学に入学し、テニス部に入り、顧問の先生の指導方針で、とにかく走らされていたのだが、だんだんと走れるようになると、ちょっと自慢しだし、親を見下すようになっていったように思えたのだ。
曰く、「パパには無理でしょ」的な発言。「むむっ、いかん、このままだと親の沽券に関わる。」と変なプライドが頭をもたげてきた。
とはいえ走ることにはあまり良い思い出がない。
かつて2度ほど、ランニングを試みたことがあったのだが、その時は見事に三日坊主で終わっていたのだ。
なぜ失敗したのか、それは「痩せるぞ!」とばかりに気合いを入れ、合羽を着て、タオルを巻いて、とにかく明日のジョーのごとく走り出す。あまりの苦しさに続くはずもなかった訳だ。
しかし今回だけは違っていた。周りからは、「死ぬぞ」とか、「やめとけ」的な言葉もたくさん頂戴したが、なんせ子どもに「な〜んだ」って言われるのだけは嫌だという、変なモチベーションのもと、走り続けることができたのだ。
最初は、ストレッチから始め、次にウォーキング。これを約二ヶ月ほど続けた後、ジョギングにトライした。
ところが最初は中学校のグランドのトラック一周3百メートルを走るのに2回も休む始末。ここまで走れないとはと愕然とし、途方に暮れ、筋肉痛になりながらも、まずは3百メートル、次に1キロ、次に千五百メートルと、徐々に距離と目標を伸ばしていった。それとともに体重が激減。走る前は70キロオーバーだった体重が、半年すぎた頃には58キロ。体脂肪も25%から14%前後になっていた。
こうなってくるともうやめられませんとばかり、もっともっとと距離を伸ばし、速度を速め、ストイックに自分をいじめ筋肉痛を楽しむ毎日であった。
あまりの急激な痩せように周りは疑心暗鬼の目を向けるようになり、何か悪い病気じゃないかと目をそらす始末。だから当初は開口一番「今ダイエットのため走ってるんです。」って笑顔でしかもあわてて言わなくてはならないくらい急激に痩せていった。それまでいかに不摂生していたかが分かるのだが、当時の写真を見ると確かに青白くて頬がげっそりしてて、我ながらかなりやばそうに見えます…。(おお怖わ)
と、まあ話せば切りはないので今回はこのくらいにして、また何度かマラソンの話はしていきます。ちなみに東京マラソンは当然エントリーし、今抽選待ち。陸連登録もしてあるので、今年は当選することを今から夢見て待っています。また11月の大田原マラソンに出走を計画中です。
2009年9月1日火曜日
政権交代
今回の衆議院選は歴史的と言われるであろう民主党の大勝利により、政権交代が現実のものとなった。
さあ、これで景気が良くなり、万々歳といきたいところだが、はたしてそうなる可能性はどれだけあるのだろう。
バブル崩壊以来約20年、本当に我々はよく我慢してきた。臥薪嘗胆という言葉があるが、一体あとどれくらいの我慢が必要なのか見当もつかないが、もうそろそろ限界だよということで、民主党への期待というよりも自民党へのいい加減にしろと言う怒りが渦巻いた結果とも言えるかもしれない。
この10年間、毎年3万人以上の自殺者が出ているにも関わらず、さしたる策もない。30万人といったら、広島・長崎の原爆に匹敵する数ですよ。わが街飯能市の人口は約83,000人だから、3年弱で「そして誰もいなくなった」というすごい人数なのである。
民主党は今回官僚たちを悪者にして、格差社会を是正するため、子ども手当や年金問題へメスを入れることを公約に、誰もが驚く大差をもって政権交代の命を受けた。
はたして、ある意味平和な時代においては保身に陥りやすいとはいえ、今や保身のためならその秀でた能力をいかんなく発揮する頭脳優秀な官僚たちに本気の大鉈が振るえるのかな。やるなら国民の負託という錦の御旗をかざして、徹底的にやってほしいのだが…。
今回の自民党の敗戦にはさまざまな理由があると思うけど、僕が思う一番の理由は、自民党が結党以来掲げた目的を達成できなかったことが遠因にあると思う。すなわち憲法改正を、とうとうと言うべきか、やっぱりと言うべきか、ただの一文字も変えることが出来なかったってことじゃないかな。なんのかんのと言ってもこの憲法改正の旗印の下に、当時の自由党と民主党が一つになって出来た党のはず。
本来の目的よりも、目先の経済一辺倒に走ってきた戦後日本の舵取りは、東京オリンピック・大阪万博の頃までは良かったのかもしれないけれど、その後、安定した社会になるととたんに私利私欲や事なかれ主義が台頭し始め、それまでの苦労を吹き飛ばすくらいに誰もが浮かれ、金儲けが一番大事なことのように思えてきて、我先にと小さな悪事を重ねに重ね、今の社会が出来上がった。
かつて日露戦争に勝利した後、凱旋パレードを行った際に、東郷平八郎はいみじくも言った「勝って兜の緒を締めよ」。しかし、それまで日清戦争より約10年の間、塗炭の苦しみを耐え、まさに当時流行した言葉である“臥薪嘗胆”し続けた国民にはとうとう通じることもなく、その後完成された年功序列の仕組みによって、適材適所よりも順番制が一番の社会が出来上がっていく。
それはそれで平時には良い面もたくさんあるけれど、非常時には百害あって一利無し。今の日本は間違いなく非常時だと思う(なんせ百年に一度の経済危機とやらなんだから…。)けど、本当の意味での再生は何とも心もとない。でも民主党の子ども手当に期待してしまうのも背に腹は代えられぬ身の上の悲しさか。
とにかくイチローや石川遼君のすばらしい活躍に同じ日本人としてこの上ない喜びを感じ、僕も少し勇気が湧いてきたのである。何があってももうしばらくは頑張るためのコアの部分の力をつけておかねばなるまい。
さあ、これで景気が良くなり、万々歳といきたいところだが、はたしてそうなる可能性はどれだけあるのだろう。
バブル崩壊以来約20年、本当に我々はよく我慢してきた。臥薪嘗胆という言葉があるが、一体あとどれくらいの我慢が必要なのか見当もつかないが、もうそろそろ限界だよということで、民主党への期待というよりも自民党へのいい加減にしろと言う怒りが渦巻いた結果とも言えるかもしれない。
この10年間、毎年3万人以上の自殺者が出ているにも関わらず、さしたる策もない。30万人といったら、広島・長崎の原爆に匹敵する数ですよ。わが街飯能市の人口は約83,000人だから、3年弱で「そして誰もいなくなった」というすごい人数なのである。
民主党は今回官僚たちを悪者にして、格差社会を是正するため、子ども手当や年金問題へメスを入れることを公約に、誰もが驚く大差をもって政権交代の命を受けた。
はたして、ある意味平和な時代においては保身に陥りやすいとはいえ、今や保身のためならその秀でた能力をいかんなく発揮する頭脳優秀な官僚たちに本気の大鉈が振るえるのかな。やるなら国民の負託という錦の御旗をかざして、徹底的にやってほしいのだが…。
今回の自民党の敗戦にはさまざまな理由があると思うけど、僕が思う一番の理由は、自民党が結党以来掲げた目的を達成できなかったことが遠因にあると思う。すなわち憲法改正を、とうとうと言うべきか、やっぱりと言うべきか、ただの一文字も変えることが出来なかったってことじゃないかな。なんのかんのと言ってもこの憲法改正の旗印の下に、当時の自由党と民主党が一つになって出来た党のはず。
本来の目的よりも、目先の経済一辺倒に走ってきた戦後日本の舵取りは、東京オリンピック・大阪万博の頃までは良かったのかもしれないけれど、その後、安定した社会になるととたんに私利私欲や事なかれ主義が台頭し始め、それまでの苦労を吹き飛ばすくらいに誰もが浮かれ、金儲けが一番大事なことのように思えてきて、我先にと小さな悪事を重ねに重ね、今の社会が出来上がった。
かつて日露戦争に勝利した後、凱旋パレードを行った際に、東郷平八郎はいみじくも言った「勝って兜の緒を締めよ」。しかし、それまで日清戦争より約10年の間、塗炭の苦しみを耐え、まさに当時流行した言葉である“臥薪嘗胆”し続けた国民にはとうとう通じることもなく、その後完成された年功序列の仕組みによって、適材適所よりも順番制が一番の社会が出来上がっていく。
それはそれで平時には良い面もたくさんあるけれど、非常時には百害あって一利無し。今の日本は間違いなく非常時だと思う(なんせ百年に一度の経済危機とやらなんだから…。)けど、本当の意味での再生は何とも心もとない。でも民主党の子ども手当に期待してしまうのも背に腹は代えられぬ身の上の悲しさか。
とにかくイチローや石川遼君のすばらしい活躍に同じ日本人としてこの上ない喜びを感じ、僕も少し勇気が湧いてきたのである。何があってももうしばらくは頑張るためのコアの部分の力をつけておかねばなるまい。
2009年8月2日日曜日
御巣鷹山
あの日から24年。史上最大最悪の航空機事故。
520名の尊い命が一瞬の惨劇により御巣鷹山の山中に消えていった。
当時、坂本九ちゃんが死んだこと、女の子が救出される映像のことや、その後見つかったボイスレコーダーによって最後の30分間のコクピットでの録音の生々しさや、死に逝く中、子どもに宛てた手帳の遺書などが思い出される。このお父さんはすごい人だな、自分があの立場ならとてもできないだろう・・・。など、とにかくいろいろなことがとても印象に残っている。
数日前、映画「クライマーズ・ハイ」が放映された。つい3ヶ月ばかり前にDVDを借りて観たばかりだったのだが、実はこの映画を見るまであの事故のことはずいぶん記憶の片隅に追いやられていたのだが・・・。
また今、山崎豊子の「沈まぬ太陽」を読んでいるが、その克明なる描写には思わず天を仰いでしまう。
この悲惨な事故によって実に多くの人たちが、最悪とも言える人生の悲劇を体験することになる。
亡くなった520名には家族がいた。友がいた。愛するものがいた。
また、救出に関わった多くの人たちにとっても、一生消えることのないその場の情景があった。
あまりにも惨いこの惨劇を体験することになった人々。私たちの人生もいつどうなるかは誰もわかりようもないけれど、今の私にできることは、手を合わせ心よりのご冥福を祈るのみだ。そして、決して忘れてはならないし語り継いでいかなければならないのだと思う。
この8月は日本人にとって特別の意味を持つ。64年前の広島・長崎の原爆投下。そして終戦。
その後のGHQによる占領政策の呪縛から未だ抜け出すことができないでいる我が祖国日本。
この国は、いまだ敗戦の中にいる・・・。と、つくづくと思う。
英霊のため靖国参拝にも行けない政治家たちと偏向報道のマスコミ。
一体彼らはどうしたいというのだろう、この国や国民をどのように導いていきたいのだろうか。自分の祖先を極悪非道と決めつけて、その先に一体どんなビジョンがあるというのだろう・・・。
ともあれ、さまざまなことに思いを巡らすのも時には大切なことだと思う。たとえ何もできないとしても、それがせめてもの慰霊になるのだと信じて・・・合掌。
520名の尊い命が一瞬の惨劇により御巣鷹山の山中に消えていった。
当時、坂本九ちゃんが死んだこと、女の子が救出される映像のことや、その後見つかったボイスレコーダーによって最後の30分間のコクピットでの録音の生々しさや、死に逝く中、子どもに宛てた手帳の遺書などが思い出される。このお父さんはすごい人だな、自分があの立場ならとてもできないだろう・・・。など、とにかくいろいろなことがとても印象に残っている。
数日前、映画「クライマーズ・ハイ」が放映された。つい3ヶ月ばかり前にDVDを借りて観たばかりだったのだが、実はこの映画を見るまであの事故のことはずいぶん記憶の片隅に追いやられていたのだが・・・。
また今、山崎豊子の「沈まぬ太陽」を読んでいるが、その克明なる描写には思わず天を仰いでしまう。
この悲惨な事故によって実に多くの人たちが、最悪とも言える人生の悲劇を体験することになる。
亡くなった520名には家族がいた。友がいた。愛するものがいた。
また、救出に関わった多くの人たちにとっても、一生消えることのないその場の情景があった。
あまりにも惨いこの惨劇を体験することになった人々。私たちの人生もいつどうなるかは誰もわかりようもないけれど、今の私にできることは、手を合わせ心よりのご冥福を祈るのみだ。そして、決して忘れてはならないし語り継いでいかなければならないのだと思う。
この8月は日本人にとって特別の意味を持つ。64年前の広島・長崎の原爆投下。そして終戦。
その後のGHQによる占領政策の呪縛から未だ抜け出すことができないでいる我が祖国日本。
この国は、いまだ敗戦の中にいる・・・。と、つくづくと思う。
英霊のため靖国参拝にも行けない政治家たちと偏向報道のマスコミ。
一体彼らはどうしたいというのだろう、この国や国民をどのように導いていきたいのだろうか。自分の祖先を極悪非道と決めつけて、その先に一体どんなビジョンがあるというのだろう・・・。
ともあれ、さまざまなことに思いを巡らすのも時には大切なことだと思う。たとえ何もできないとしても、それがせめてもの慰霊になるのだと信じて・・・合掌。
2009年7月2日木曜日
自己紹介
皆さん初めまして、サンエスの代表であります増田伸一と申します。
当社のホームページを長らく更新していなかったので、そろそろ更新しようと考えていたところ・・・あらためてシミジミと見てみると、なんかつまらないような、物足りないような感じがしてきて・・・
それでは私の人となりなぞをお伝えして、どんなヤツが経営しているのか、少しでもわかった方が親しみが持てるし、新規のお客さまが電話やメールをしやすくなるのかな・・・と思い立ち、このようなコラムを作ってみました。
まずは自己紹介ですが、1961年8月15日生まれ(そうです終戦記念日です。ゆえに子どもの頃から誕生日の楽しい思い出はあまりありません)。
埼玉県飯能市の銀座商店街のスポーツ店の二階で誕生。三人兄弟の二番目で長男。時代のせいかもしれませんが、男が生まれたことをおじいちゃんが喜び「で かした!」って言われたんだよってことをお袋からよく聞かされました。姉貴の時には見にもこなかったそうな・・・、やっぱり時代を感じますよね。
三歳の頃から絵を描いてはみんなに褒められ(ちょっと自慢?)小学1年生のときに描いた絵がNHKコンクールに出品されたり(かなり自慢?)、その他硬 筆・書道などでいただいた賞状は数限りなく…。(相当自慢?)ただしそんな栄光も小学生まで・・・中学生からは一枚ももらえなくなりました。(悲)
でも、小学三年生の時の担任の山口先生に絵のことを褒められたことが忘れられず、高校では美術部、そしてデザインの専門学校へ進学し、今のお仕事に就いて早28年の歳月が流れたのであります。
子供は3人。長女は大学一年生。下の子は双子の男の子で高校一年生。(とにかく出費がすごすぎ)。
趣味は読書(今は村上春樹にハマってます)と、ランニング(フルマラソン2回完走)。
煙草は1年半前にやめましたが、お酒は大好きなれど必ず寝てしまうのが目下の悩み事。それと煙草をやめてからどんなに走っても元の体重にプラス3〜4キロが落ちないことも悩みの種。
とまあ、いろいろありますが仕事のことばかりではなく、今まで約48年生きてきて、それなりに経験したことや思っていることをつらつらと書いていきますので、よろしくお願いします。
当社のホームページを長らく更新していなかったので、そろそろ更新しようと考えていたところ・・・あらためてシミジミと見てみると、なんかつまらないような、物足りないような感じがしてきて・・・
それでは私の人となりなぞをお伝えして、どんなヤツが経営しているのか、少しでもわかった方が親しみが持てるし、新規のお客さまが電話やメールをしやすくなるのかな・・・と思い立ち、このようなコラムを作ってみました。
まずは自己紹介ですが、1961年8月15日生まれ(そうです終戦記念日です。ゆえに子どもの頃から誕生日の楽しい思い出はあまりありません)。
埼玉県飯能市の銀座商店街のスポーツ店の二階で誕生。三人兄弟の二番目で長男。時代のせいかもしれませんが、男が生まれたことをおじいちゃんが喜び「で かした!」って言われたんだよってことをお袋からよく聞かされました。姉貴の時には見にもこなかったそうな・・・、やっぱり時代を感じますよね。
三歳の頃から絵を描いてはみんなに褒められ(ちょっと自慢?)小学1年生のときに描いた絵がNHKコンクールに出品されたり(かなり自慢?)、その他硬 筆・書道などでいただいた賞状は数限りなく…。(相当自慢?)ただしそんな栄光も小学生まで・・・中学生からは一枚ももらえなくなりました。(悲)
でも、小学三年生の時の担任の山口先生に絵のことを褒められたことが忘れられず、高校では美術部、そしてデザインの専門学校へ進学し、今のお仕事に就いて早28年の歳月が流れたのであります。
子供は3人。長女は大学一年生。下の子は双子の男の子で高校一年生。(とにかく出費がすごすぎ)。
趣味は読書(今は村上春樹にハマってます)と、ランニング(フルマラソン2回完走)。
煙草は1年半前にやめましたが、お酒は大好きなれど必ず寝てしまうのが目下の悩み事。それと煙草をやめてからどんなに走っても元の体重にプラス3〜4キロが落ちないことも悩みの種。
とまあ、いろいろありますが仕事のことばかりではなく、今まで約48年生きてきて、それなりに経験したことや思っていることをつらつらと書いていきますので、よろしくお願いします。
登録:
投稿 (Atom)